2008-04-09 第169回国会 衆議院 外務委員会 第6号
それで、今度、私もにわか外交官をやらせていただきまして、パリにいたときに近藤元次農林水産大臣が来られました。エピソードでちょっとお話ししたいと思います。
それで、今度、私もにわか外交官をやらせていただきまして、パリにいたときに近藤元次農林水産大臣が来られました。エピソードでちょっとお話ししたいと思います。
例えば、平成三年の四月二十五日に農林水産委員会で、細谷さんという方が質問をしたその答えに、これは当時の国務大臣の近藤元次さんですね、この方が「競馬から出てくる益金については当然のことながら馬の改良、増殖には第一義的に努めていかなきゃならないことでありますし、」ということが実は出ているんですよね。
私のこの金山町は、近藤元次前農林大臣のころに第一回の美しい村づくり全国コンクールというので最優秀賞をもらった、美しい村づくりの先駆者とでもいうんでしょうか、そういう町でありますので、その辺是非ひとつごらんになっていただきたいということで、みんな待っているようでございますから、よろしくお願いします。
私は、かつて大野明さんが予算委員長のときに、私と近藤元次君が若い理事で入ったんですよ。私に二時間質問せいと、何やろうかなと思って、二時間も。後藤田さんと武藤嘉文さんに何をやったらいいですかねと。何やりたいと言うから、ODAでもやりましょうかと。それはいいところへ目付けたと言われて、それでいろいろ調べていったんです。やめましたよ、質問。
当時、吹田あきら先生、自治大臣やられた、それから亡くなりましたが、近藤元次、私の前の農林大臣、三人でやったんですよね。マダガスカルに最初やろうやということで、地元から着るものがないと、一遍行って帰ってきまして、これは何か援助してやろうと、あの子供たちがかわいそうだしというので、新潟と山口と青森で、衣類、古着ですよ、それでもまあ着れる立派なものでしたけれども、それを五十万着集めた。
随分、私と吹田代議士と近藤元次代議士と三人でやったものですよ。まあ、もう遅まきながら、今度はそういうことになったんですけれども。 いずれにしても、そういう国鉄の長期債務を私は運輸委員長のときに、新橋のあれを、バブルで高いときでしたから、売って借金をなくせと。
そのときに、実はワシントンとヨーロッパ、ローマ、あの辺を視察しようというので、近藤元次さんと吹田あきらさんと私と三人行ってまいりました、電線地下がどのようになっているかというので。そのとき、青山の共同溝と新橋のキャブ、これを見せてもらってから行ったんです。私は、そのときヨーロッパを見て感じたのは、電線を地下に埋設して電柱の跡に木を植えたら日本が緑になるということを当時言ったんです。
もともとものつくり大学の設立構想というのは、近藤元次さんが佐渡に離島振興事業の一環として職人大学を設立しようということでその運動が始まったんではないだろうか。そして、その構想を受けて、労働省の中では、ずっと職人大学校といったような、職人さんをつくっていこう、あるいはそれにステータスを与えていこう、労働省のさまざまな研修センターやそういうものを利用した構想が中心だったんではないかと思います。
例えば、近藤元次農林水産大臣の当時からこの基本法の見直しということが言われておった、農水大臣みずからそういう形で言及をされた、あれが平成三年かそのぐらいだったと思いますけれども、それ以来、六年も七年もたってようやく新たな基本法の制定にたどり着く。
特に、平成三年ですか、当時の近藤元次農水大臣が閣議後の記者会見でこの基本法のことに触れて、見直しを含めて新しい時代に向かってこれを検討する必要がある、こう言われて、あれからもう随分たちました。その間ウルグアイ・ラウンドのいろいろな交渉事もありましたけれども、今やっとその舞台に入ったわけですから、この機会にしっかりと進めることが大事だ、そういう思いでお話ししております。
かつて私は亡くなった近藤元次さんや吹田さんと一緒になってボランティア基金というのをやったんですよ。第一号はマダガスカルでした。原島大使がこういうものに援助してほしいと言われて、私たちは行って見てきた。行って見ると、こんなのに金を出すのなら別のものがいいなというのがあって、そっちにやったんですよ。
実は、私、町長時代に、近藤元次さんという大臣がおりまして、第一回の美しい村づくりコンクールのノミネートされた各地域が農林省に集められて事例発表したわけです。そこで私、非常に感激しましたのは、たしか八つぐらいの市町村があったと思うんです。それが説明を約五十分ぐらいずつやったんですけれども、大臣がそこから席を立たないでずっと聞いておられたんです。
実は、平成三年三月に、農林水産委員会で、当時の近藤元次農林水産大臣、第四回目の国有林野の改善計画、特別措置法という法案の審議をしておりまして、その中の答弁で、確かにこれは、昭和五十三年以降、木材価格あるいは伐採量等が旧来に比べてずっと減少せざるを得ない、低下せざるを得ないということはありました。
かつて私、交通手段の問題が一番ネックにあるということで、当時の官房副長官の近藤元次先生のところにお伺いをしましたら、近藤先生がその場ですぐ、そういえば佐渡汽船の船をちょうどかえるときだなということで、佐渡汽船に問い合わせをしていただいたことがありましたけれども、その中古船の方は売却をしてしまって利用できないということで、残念な思いをしたことがございます。
委員長 臼井日出男君 理事 尾身 幸次君 理事 田中 直紀君 理事 中村喜四郎君 理事 与謝野 馨君 理事 川島 實君 理事 岡田 克也君 理事 田中 甲君 理事 上田 晃弘君 越智 伊平君 近藤 元次君 塚原 俊平君 林 義郎君 平沼 赳夫君 今村 修君 辻 一彦君 上田 清司君
しかし、それは亡くなられた近藤元次農林大臣が命をかけたんですよ。私も言われました。若林君、目をそらしちゃいかぬ、真正面からやらなきゃいかぬと思う、こうおつしゃられて取り組んでいったわけでございます。
なお、近藤元次故農林大臣並びに田名部元農林大臣に御努力いただいた新政策、これも非常に重要な、そして大切なことがいっぱい書いてあって、ようやく緒についたところでございます。これについても云々という御意見は私も耳には入れておりますけれども、当面はこの新政策を誠実に、着実に、拡大的に推進していくということが私は大切ではないか、こう認識いたしております。
――――――――――――― 衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに農 林水産委員長の要職につき また国務大臣の重 任にあたられた議員従三位勲一等近藤元次君の 長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ―――――――――――――
○緒方事務総長 まず最初に、議長から、故議員近藤元次先生こ対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。次いで田名部匡省さんの追悼演説がございます。 次に、動議により、暫定予算三案を緊急上程いたしまして、山口予算委員長の報告がございます。三案を一括して採決いたしまして、共産党が反対でございます。 本日の議事ま、以上でございます。
まず、議員近藤元次君逝去の件についてでありますが、去る二月十六日、新潟県第一区選出議員近藤元次君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 近藤君に対する追悼演説は、本日の本会議において行うこととし、演説者は、新生党・改革連合の田名部匡省君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田名部匡省君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員近藤元次先生は、去る二月十六日逝去されました。 近藤先生は、去年の一月半ば、当時の宮澤総理大臣に内閣官房副長官として同行し、ASEAN諸国を歴訪中体調を崩し、肋膜炎と診断されましたが、持ち前の責任感の強さから、猛暑の中をPKOカンボジア派遣隊の慰問を強行されました。
平成六年三月三十日(水曜日) ————————————— 平成六年三月三十日 午後五時 本会議 ————————————— ○本日の会議に付した案件 田名部匡省君の故議員近藤元次君に対する追悼 演説 平成六年度一般会計暫定予算 平成六年度特別会計暫定予算 平成六年度政府関係機関暫定予算 午後五時三分開議
議員近藤元次さんは、去る二月十六日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 近藤元次さんに対する弔詞は、議長において去る二月十九日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
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